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【感想・概要】『アンネの日記』前向きに生きるアンネに勇気づけられる

実は読書好きなタカヤです。

 

先日、ついにアンネ・フランク著『アンネの日記を読みました!

以前ポーランドのアウシュビッツ博物館に行ってから、ずっと読もうと思ってたんです。

アウシュビッツ博物館で日本人ツアーに行って、感じたこと。旅人のタカヤです。 「労働は自由を作る」 この言葉は、アウシュビッツ強制収容所の入り口で掲げられた看板です。 ...

 

かなり読みやすく翻訳されていて、読書が苦手な方でも読みやすいと思いました。

この記事では、『アンネの日記』の感想や概要を綴っていきます。

 

一部、本の内容を書いている箇所もあるので「ネタバレを見たくない!」という方はご注意ください。

とは言っても物語ではなく「日記」なので、事前に内容がわかったとしても、あまり関係ないかなと思います。

 

『アンネの日記』の概要

アンネの日記

 

まずは、『アンネの日記』の概要から紹介していきます。

日記が書かれたのは、第二次世界大戦中の1942年6月12日から1944年8月1日まで。

日記の著者は、ドイツ系ユダヤ人の「アンネ・フランク」という少女です。

 

当時ユダヤ人は、ドイツ軍ナチスによって迫害を受けていました。

そんな中、フランク一家はユダヤ人の強制連行から逃れるために、オランダのアムステルダムにある隠れ家に潜み、潜伏生活を過ごします。

アンネは隠れ家の中で、約2年間にわたって日記を執筆。

 

戦後、唯一生き残った父「オットー・フランク」がアンネの想いを伝えるために出版しました。

 

『アンネの日記』のあらすじ

アンネの日記

 

父と母、姉の4人家族で裕福な家庭に生まれたアンネ。

ドイツのフランクフルトで生まれますが、ユダヤ人の迫害を逃れるためにオランダのアムステルダムへと移り住みます。

しかし、アムステルダムでもユダヤ人の強制連行が行われるようになったため、人目につかない隠れ家に潜伏。

 

隠れ家では、知り合い家族3人と知り合いの歯科医1人の計8人のユダヤ人がともに暮らします。

外に出ることはできない生活だったので、父親が経営していた会社の従業員に食料品の手配などを手伝ってもらっていました。(従業員は非ユダヤ人

 

アンネの日記には、隠れ家での生活がありのままに綴られています。

  • 日々のできごと、頻発する揉め事について
  • 当時の政治・軍事事情
  • 家族や同居人に対して思っていること
  • アンネ自身の内面の変化や気付き
  • 恋愛の話

 

13歳〜15歳の思春期を不自由な環境で生活したアンネ。

数少ない娯楽の中で、日記を書くことを始めます。

日記を「キティー」と名付け、まるで友達に書いた手紙のような書き方。

 

明るくておしゃべり好きな彼女は、周囲への不満を毒舌交じりに書いたり、恋愛について赤裸々に書いたりと、年頃の少女らしさが伺えます。

一方で鋭い観察力や文才を発揮し、大人顔負けの考察までもあり。

 

厳しい環境下でも、常に前向きに生きようとするアンネ。

その姿は、迫害に怯えているユダヤ人だということを忘れてしまうくらいポジティブです。

 

主な登場人物

 

『アンネの日記』に出てくる主な登場人物は、アンネを含めた8人のユダヤ人

それぞれの人物について、簡単に紹介していきます。

 

アンネ・フランク

 

1929年6月12日生まれ – 没年1945年3月上旬頃。

最期はベルゲン・ベルゼン強制収容所にて、発疹チフスに罹り死亡。

 

明るくおしゃべりな性格で、学校では常に話の中心。

男の子からも女の子からも人気が高く、どこに行っても取り巻きがいるほどの人気者

モンテッソーリ教育の学校へ通っていました。

 

隠れ家では、自由奔放でおしゃべりな性格から、周囲との衝突を頻繁に起こします。

しかし、時を重ねるにつれて成長し、周囲の気持ちをくみ取るように。

 

戦争が終わったら日記や小説を出版して、作家になりたいと考えていました。

自立心が強く、観察力にも優れています。

 

収容所が解放されたのは、アンネが亡くなって約1ヶ月後のことでした。

 

オットー・フランク

 

アンネの父親

1889年5月12日生まれ – 没年1980年8月19日。

アウシュビッツ強制収容所で生き残りました。

アンネの死後の1947年に、彼女の日記を出版した人物です。

 

アンネが家族の中で一番慕っていたのが父親。

オットーはアムステルダムで会社を経営しており、会社内にある部屋を隠れ家にして皆で潜伏していました。

解放後も会社の取締役に復帰し、稼いだお金を同じ境遇のユダヤ人に宛てています。

 

エーディト・フランク

 

アンネの母親

1900年1月16日生まれ‐没年1945年1月6日。

アウシュビッツ強制収容所で餓死しています。

 

アンネとは折り合いが悪く、日記内でもアンネが母親を批判する記述が多いです。

日記の後半では徐々に和解しますが、それでも良い関係とは言えませんでした。

しかしオットーによると、エーディトは良い母親であるように努めていたようです。

 

関係悪化の原因は、アンネが反抗期だったことが大きいかもしれません。

娘たちと同じ収容所にいたときは、自分の食料を娘たちに分け与え、アンネはずっと母親のそばにいたという証言もあります。

 

マルゴット・フランク

 

アンネの姉

1926年2月16日生まれ ― 没年1945年3月上旬頃。

最期はベルゲン・ベルゼン強制収容所にて、発疹チフスに罹り死亡。

一番最後までアンネと一緒にいましたが、アンネの数日前に亡くなっています。

 

性格はおとなしくて控えめ。

成績優秀で美人。

大人たちからの評判が良く、アンネは姉と比べられることが多かったです。

そのため姉妹の仲は悪かったですが、潜伏生活で徐々に打ち解けて親友のようになっていきます。

 

ペーター・ファン・ペルス

 

フランク一家と共同生活を営むアンネの恋人

1926年11月8日生まれ ‐ 没年1945年5月5日。

マウトハウゼン強制収容所で死亡しています。

 

とても内気な性格で控えめ。

一緒に住み始めるようになった直後のアンネからは、「面白くない」や「彼のことを相手する人なんかいない」など酷評されています。

明るいアンネからすると、陰キャラだと見なされて避けられてたんですね。

 

しかし共同生活を営む中で、二人の仲は親密になります。

ペーターの誠実さや優しさがアンネに響いたのでしょう。

 

アウシュビッツ強制収容所にいたときには、衰弱するオットーの面倒を献身的に見ました。

 

ヘルマン・ファン・ペルス

 

アンネの恋人ペーターの父親で、フランク一家の同居人。

1898年3月31日生まれ‐没年1944年頃。

アウシュビッツ強制収容所でガス室に送られて、死亡しました。

 

オットーの会社で相談役として勤めていたことから、家族ぐるみの付き合いになり、一緒に潜伏をします。

冗談好きで陽気な性格。

 

隠れ家生活では、妻のアウグステと頻繁に夫婦喧嘩をしています。

 

アウグステ・ファン・ペルス

 

アンネの恋人ペーターの母親で、フランク一家の同居人。

1900年9月29日生まれ – 没年1945年頃。

死亡場所や時期について詳しいことはわかっておらず、どこかの収容所で亡くなったとされています。

 

喜怒哀楽が激しく、フランク一家や夫と揉めることが多々あり。

アンネとも折り合いが悪く、頻繁に衝突しています。

 

フリッツ・プフェファー

 

ユダヤ系ドイツ人の歯科医。

隠れ家で共同生活を営んでいました。

1889年4月30日生まれ – 没年1944年12月20日。

ノイエンガンメ強制収容所で死亡しています。

 

フランク一家やファン・ペルス一家は潜伏しているユダヤ人の中では、比較的裕福な生活をしていました。

そしてできるだけ多くのユダヤ人を助けたいという想いから、元々親交のあったプフェファー氏を隠れ家に迎え入れることに。

 

隠れ家内でも、隠れ家メンバーの歯の治療をしています。

 

隠れ家では、アンネと同じ部屋に住んでいました。

アンネにマナー面で説教をしたり、机の使用をめぐって揉めたりと、常に揉め事続き。

日記内ではデュッセル(ドイツ語でまぬけ)という偽名を使われるほど、アンネとうまくいっていませんでした。

 

出版までの経緯

 

『アンネの日記』に書いてあるのは、アンネたちが隠れ家で暮らした約2年間のこと。

日記は、1944年8月1日で終わっています。

 

その3日後である1944年8月4日に、アンネたち8人は保安警察に見つかり、逮捕。

そのまま収容所へと連行されました。

 

アンネたちを匿い、手助けをしていたうちの一人「ミープ・ヒース」は、アンネたちが連行された後に、部屋でアンネの日記を発見。

戦後にアンネへ渡そうと保管していました。

 

しかしアンネが帰ることはなく、ミープは唯一生き残ったオットーへ「アンネのお父さんへの形見です」と言って渡します。

そしてオットーは日記を編集し、出版。

その後の人生は、アンネの日記を広めることに捧げました。

 

『アンネの日記』の感想

ここからは、『アンネの日記』の感想を書いていきます。

 

印象に残ったアンネの言葉

 

アンネの日記を読んでいて、特に心に残った言葉を5つ紹介しようと思います!

(すべて「アンネの日記」から引用)

 

アンネはとても前向きで、潜伏生活をしていたとは思えないくらい、ポジティブな言葉を残してくれていました。

 

私は、死んだ後でも生き続けたい。

アンネの願い通り、死後も世界中の人に日記が読まれ、生き続けています。

 

幸せな人は誰でも、他の人をも幸せにするでしょう。

自分が幸せに生きていれば、周りの人も幸せになります。

 

薬を10錠飲むよりも、心から笑った方がずっと効果があるはず。

心から笑うことは、心身の健康にもつながる。

 

与えることで貧しくなった人は、誰一人としていない。

人に与えることは、自分の心にとっても良いこと。

台湾人に学ぶ【Give&Share】精神。見返りを求めずに与えること。オーストラリアワーホリ中のTAKAYAです。 クイーンズランド州のガトンという小さな町で、ファームの仕事をしています。 ...

 

たとえどんなに厳しい状況でも、まわりにまだ残されているすべての美しいものを思って楽しくやりましょう。

不足を嘆くよりも、自分にあるものを見る。

 

『アンネの日記』を読んで感じたこと

 

アンネの日記を読むまでは、迫害されるユダヤ人の状況がひたすら暗く綴られているものだと思っていました。

しかしその認識はまったく違うもの。

 

確かに深刻な状況が続く中での生活でしたが、その中でも現代の少女と同じように考え、悩み、前向きに生きていました。

アンネの毒舌や批判の仕方もユーモアがあって、笑えるようなシーンさえあるほど。

 

ポジティブギャルの日記」といった感じです。

特に恋愛に悩む姿は、年代や環境が違っても現代の少女と一緒。

 

多くの人なら絶望しそうな状況においても、前を向くことを忘れないアンネに勇気づけられます。

生き方に悩む人の指南書や、やる気・勇気を出すための自己啓発本としても使えるんじゃないかと。

 

アンネの日記のおもしろさは、良いことも悪いこともありのままに書いていること。

読んでいくうちに自分がアンネと一体化、もしくは親友になったかのように入りこんでいるんです。

 

ユダヤ人迫害に怯えていた人々のリアルな生活を知れるとともに、どんなときでも希望を忘れない大事さを感じました。

 

最後に

アンネの日記

 

僕はアンネの日記を読みながら、2年前に「アウシュビッツ強制収容所博物館」に行ったことを思い出していました。

ユダヤ人の迫害は本当に悲惨なできごとです。

 

しかし実際に生きていた人々は、暗い一面だけじゃなく、希望を持って生きていた人もいたんだと感じました。

戦争時という特別な環境下でも、そこにあったのは人々の生活。

 

実際に、そこでたくさんの人が生きていたんです。

アンネの日記からは、人々が日々どんなことを考え、どんなことをして気を紛らわせていたのかが伝わってきました。

 

今度はオランダのアムステルダムで「アンネの隠れ家」を見に行き、アンネたちの生きた時代を想像したいと思います。

今回は、以上です。

 

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TAKAYA・KANAKO
こんにちは! 夫婦で世界放浪中のTAKAYAとKANAKOです。 北海道出身の夫と大阪出身の妻でお送りします。 地球一周の船旅「ピースボート」で出会い、結婚後に二人で仕事を辞め、バックパッカーで世界を放浪しています。 このブログでは、僕たちが旅で得た情報やエピソードを綴っています。