東南アジア放浪中のタカヤです。
世界各地では、戦争や内戦を含む、色々なところで多くの人が犠牲になってきました。
現在でも、毎日多くの人が犠牲になっています。
その中でも、カンボジアの大虐殺は割と近年に行われた事件です。
1975年から1979年まで行われ、たくさんのカンボジア人が亡くなりました。
現在のカンボジアでは、親族や友達が犠牲者になった人が多いそう。
本当に残酷な出来事でした。
知れば知るほど、恐ろしさを感じます。
今回、僕はカンボジアの首都プノンペンにある「トゥール・スレン虐殺犯罪博物館」と「キリング・フィールド処刑場」に行ってきました。
そこで聞いた話や感じたことを、綴っていこうと思います。
目次
カンボジア大虐殺の概要
まずは、カンボジアで起きた大虐殺について、あまり知らない方のためにざっくりと概要を書いておきます。
カンボジア大虐殺は、1975年〜1979年までの間カンボジアを支配した「ポル・ポト」という指導者の下で行われた出来事です。
「ポル・ポト政権」聞いたことのある名前ではないでしょうか?
ポル・ポト政権下では、「クメール・ルージュ」と呼ばれる組織が作られました。
この組織が、大虐殺を行い、カンボジア全土を恐怖に陥れた武装組織。
当時、カンボジア国内は内戦やベトナム・アメリカとの戦争等が起きており、とても混乱している状況でした。
そんな中、ポル・ポト率いるクメールルージュは、革命軍として現れました。
クメール・ルージュは、当時起きていた内戦に勝利し、最悪の時代は終わったかのように見えました。
そして国民は、これで国が良い方に進むと思いました。
が、本当の悪夢はここからだったのです。
最初は、国を変えてくれるヒーローとして歓迎されていました。
これが最悪の結果になってしまうとは、国民は思いもしなかったでしょう。
クメールルージュが国を支配するようになると、都市部の市民が強制的に農村部へ移住させられました。
そして強制労働。
学者や教師、医者、教育を受けた者等の知識人は、収容所に入れられ、拷問・処刑されました。
ポル・ポト政権下では、勉学やお金は不必要なものであり、農業(米)に励むことが良しとされていたからです。
カンボジア国内では、数えきれないほどの拷問のための収容所が作られます。
今でも、まだ見つかっていない収容所があるほど。
こうして、全ての国民はクメール・ルージュの監視下に置かれることになります。
この4年間で処刑された数は、150万人〜200万人。
当時のカンボジア人口の約4分の1。
4人に1人が殺されたんです。
子どもや高齢者、妊婦も関係なく、規則を破るものや知識を持っている者は、収容所や処刑場に送られました。
処刑された人だけでなく、飢餓や過労でなくなった方も大勢います。
残酷な時代でしたが、1979年にベトナム軍の支援を受け、ポル・ポト政権は崩壊しました。
後にポル・ポトやクメール・ルージュの幹部は逮捕され、1998年にポル・ポトは心不全のため死去しました。
ポル・ポトの晩年は、穏やかに過ごし、最期は家族に看取られるという、皮肉ですが幸せな最期だったようです。
カンボジア大虐殺の特徴は、国民の4分の1という大きな犠牲が出たこと、そして拷問が人間業とは思えないほど残虐だったことです。
こんな大きな犠牲が出てしまったため、カンボジアは周辺国に比べて発展が遅れたと言われています。
そして、当時生きていた人たちが犠牲になったので、現在のカンボジアは若い人が圧倒的に多いです。国民の平均年齢24歳という若さの裏には、こうした大虐殺の歴史があるのです。
トゥール・スレン虐殺犯罪博物館
プノンペンの中心部近くにある「トゥール・スレン虐殺犯罪博物館」に行ってきました。
ここは、当時「S-21収容所」と呼ばれ、実際に拷問や処刑が行われていた場所。
カンボジア国内にある収容所の中でも、多くの人が犠牲になったことで知られています。
当時の建物や収容者の写真、拷問の様子等、ありのままの残酷さを感じます。
有料で日本語音声ガイドを借りることができるので、それを聞きながら各スポットや展示を見て回ります。
建物の内部には、現在も血痕が残っています。
収容所は、元々学校だったそうです。美しい庭もありますが、収容所として使われるようになり、実際にここで信じられないようなことが起きていたのです。
上の写真は、拷問で使われた器具です。
ここに人を逆さにして吊るし、水瓶の中に頭を突っ込んで苦しませたそうです。
あまりの苦しさに、建物の上階から飛び降りて自殺する人もいたそうです。
そのため、自殺防止策として有刺鉄線が張られ、自殺すらもできないようになりました。
館内には、多くの犠牲者の顔写真が貼られています。
カンボジアの国民の中には、その顔写真の中に知り合いや友達、親族がいる人もいるでしょう。
本当に悲しい出来事。
拷問の様子等、生々しい写真が多いです。
精神的に疲れるので、時おりベンチで休憩して、少し頭を整理しながら見学しましょう。
トゥール・スレン虐殺犯罪博物館の詳細情報
営業時間:毎日8:00~17:00
料金:入場料5ドル/音声ガイド3ドル
日本語の音声ガイドがかなり詳しくてわかりやすいです。
理解が深まるので、音声ガイドは絶対に借りた方がいいと思います!
所要時間は、2~3時間くらいです。
敷地がそこそこ広く、各スポットで立ち止まってガイドを聞くので、けっこう時間はかかります。
中心部から割と近い場所にあるので、宿の場所によっては徒歩でも行くことができます。
他の交通手段は、Grabでトゥクトゥクを呼ぶのが安くて楽です。
キリングフィールド処刑場
もう一箇所、プノンペンで負の遺産として有名な場所があります。
ここは「キリング・フィールド」と呼ばれる処刑場。
プノンペン郊外にあります。
当時は、たくさんの人がここで処刑されました。
ここが発見された当時は、人の死体が大量にあり、悲惨な光景だったそうです。
今現在でも、地面から人の骨が出てきます。
一見、綺麗な公園なんですが、ふと地面を見ると、人の骨らしきものや布切れが落ちていることがあります。
当時はクメール・ルージュも資金不足のため、処刑に銃を使うことはありませんでした。
弾がもったいないので、棍棒を使うことが多かったそう。
上の写真にある木は、カンボジアや東南アジアでよく見かける木です。
この木の表面が固く鋭いため、切り取って処刑の道具として使われていたそうです。
これで喉を切り裂いていたとか…。残酷過ぎる。
そしてこちらが有名な「キリングツリー」
キリングフィールドに連れてこられた子どもは、この木に打ちつけられて殺されていたそうです。
親はそれを目の前で見ていたとか…。
人間の所業とは思えないほど残虐です。
公園には、少し背の高い塔があります。
ここは慰霊の塔。
ここで亡くなった方の骨が納骨されています。
頭蓋骨が変形しているものや割れているもの、大きく穴が空いているものがあり、悲惨な処刑のされ方をしたことが伺えます。
処刑に使用された物も、証拠として残っています。
キリングフィールドは、トゥール・スレンのような展示物はほとんどありません。
ガイドを聞きながら、この場所ではこんな残酷なストーリーがあったということを知り、想像する。
生々しさは薄れますが、想像するだけで本当に悲しくなります。
キリングフィールドの詳細情報
営業時間:毎日7:30~17:30
料金:6ドル(音声ガイドも込み)
こちらは、音声ガイドが無料で付いてきます。
トゥール・スレン同様、かなりわかりやすくて理解の深まるガイドです。
所要時間は、2~3時間ほどかかると思います。
プノンペンの郊外にあるので、Grabでトゥクトゥクを呼んで行きましょう。
片道30~40分くらいです。
入り口にはフリーWi-Fiもあったので、帰りもGrabを呼べます。
負の遺産2箇所を巡って感じたこと
「トゥール・スレン虐殺犯罪博物館」と「キリングフィールド」を回って僕が感じたことを綴ってみます。
現在のカンボジアは、ものすごい勢いで経済発展や開発、観光地化が進んでいます。
しかし現代でも、ポル・ポト政権の爪痕はまだ強く残っていると感じました。
「知識人」として収容対象になった人の中には、「ただ眼鏡をかけているだけの人」もいたとか。
眼鏡=インテリの象徴のため、拷問・処刑されたそうです。
そのせいなのかわかりませんが、カンボジア滞在中眼鏡をかけている現地の人を見かけることはありませんでした。
もしかしたら、虐殺のせいで眼鏡に対して良い印象がないのかもしれません。
また、カンボジアでは現在もまだまだ地雷が残っています。
この地雷は、内戦時やクメール・ルージュが埋めたものが多いそう。
近年、地雷の被害者は減ってきていますが、街や観光地を歩いていると、地雷の被害者によく出会います。
大虐殺によって失った人口4分の1の損失はかなり大きいと思います。
国家的にも、人々の精神的にも。
それにもかかわらず、明るくて親切なカンボジア人に出会うと、感謝の気持ちが湧いてきます。
どちらの施設も、かなりヘビーで、見学しているだけでも辛くなるような場所です。
しかし、近代に起きた悲惨な事件として、多くの人が知っておくべきことなんじゃないかと思います!
今は平和な日本でも、いつか似たようなことが起きる可能性だって、否定できません。
過去を学ぶことで、「今の日常を送ることができる幸せ」や「平和に対しての気持ち」が強くなります。
カンボジアでは、負の遺産を実際に見てみてください。
一人の人間として、何か感じるものがあると思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
カンボジア第三の都市バッタンバンにも、「キリングケイブ」という処刑に使われた場所があります。
プノンペンで泊まってた宿はこちら。